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平沢勝栄議員2009年の第45回衆議院議員総選挙では、自民党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、東京17区で5選を果たす。しかし民主党の早川久美子に比例復活を許す(東京17区で次点以下の候補が比例復活するのは初めて)。東京都25の小選挙区で東京17区は唯一民主党の候補が敗北した選挙区。


平沢勝栄議員の2008年の活動と致しましては「パチンコ業界の位置づけを真剣に考えていく」ために、自民党内に「遊技業等の営業の健全化に関するプロジェクト会議」を立ち上げられました。ゲームセンターを含む遊技業界の現状や必要性などを様々な観点から調査・検討し話し合う場となるものです。

平沢勝栄議員は2007年12月、日朝国交正常化を目指す議員連盟「自民党朝鮮半島問題小委員会」を立ち上げ、同会の幹事に就任されました。自民党朝鮮半島問題小委員会とは、政府の対北朝鮮外交をバックアップするために結成されたものです。

平沢勝栄さんは2006年9月、安倍内閣で内閣府副大臣に就任。翌2007年の第21回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区から出馬した自民党新人の丸川珠代の選挙対策本部長を務め、丸川の当選に貢献しました。ただし、自民党への逆風により、丸川に代わり保坂三蔵が落選しました。

堀江メール問題

2012年11月12日
平沢勝栄さんは2006年2月、民主党の永田寿康の国会質疑をきっかけに起こった堀江メール問題では、問題のメールを入手し、メールの正当性を否定するコメントをマスコミに発表しました(事実、そのメールは偽物であり、永田は議員辞職、前原誠司民主党代表は辞任に追い込まれた)。

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